こんにちは!
今日は私がオリジナルで作成したリアル昔話をご紹介します。
子どもをあやすときや夜寝る前に”むかし話”をされる方もいると思います。”むかし話”と言えば桃太郎や浦島太郎などが有名ですよね。
子供にも理解しやすくとてもいいお話だと思います。
ですが、大人にとっては少し面白味に欠けませんか?架空の話ですし覚えてても人生においてあまり得になることは少ないんじゃないかなぁと。。。一般常識的には知っておいたほうが良いとは思いますが。(あくまでもせっかちな僕の感想です。笑)
そこでせっかちで無駄が苦手な私は、歴史上の人物の人生を”むかし話”として作って、子どもに聞かせれば、子どもがなんとなく歴史に触れられ、さらに親も歴史を学べるという一石二鳥が実現するのではないかと考えました。
まず第一歩として「織田信長」について作ってみました。素人作成の物語のため突っ込みどころがあるかもしれませんが寛大な気持ちで見て頂けたら助かります。
少々対象年齢は高めだと思いますが、いいなと思って頂けたらお子さんへの”むかし話”の代わりに、または歴史勉強の最初の一歩に聞かせてあげてください。
尾張の田舎者から天下を目指したワシの波瀾万丈の人生。
子どもに聞かせてやってくれ!
とっても自由人なノブナガの生い立ち
むかしむかし尾張の国(今の愛知)にノブナガという少年がいました。
ノブナガは立派なお城に住む家の長男として生まれ、豊かな生活をしていました。そんな立派なお家に生まれたノブナガですが、自由奔放な性格で周りの人から「うつけ者!(バカもの!)」と言われていて、パジャマのような服装で町に出ては仲間と一緒に柿や瓜をかじりながら町を歩き、皆を困らせていました。
そんなノブナガも戦いの訓練はとっても真剣。どうやったら強くなるか。どんな武器が強いか。強い相手を倒すためにたくさん訓練をし、勝つための作戦を考えることが大好きでした。
尾張のノブナガ、いざ戦いへ!
大きくなったノブナガは20歳の頃に父が死んでしまったため、父の後を継いで尾張の国の長になりました。
このときの日本は、たくさんの国に分かれていて戦いだらけ。ノブナガも自分の国を守るため、また自分の国をもっと大きくするために一生懸命戦いました。
ノブナガの住む国「尾張」の東には、今川という人がおさめている「駿河」という国がありました。「駿河」はとっても大きな国で、ノブナガの国を常に狙っていました。そんな中、尾張と駿河の二つの国が「桶狭間」でついに戦う日がやってきました!
今川の戦士たちは2万人、一方ノブナガの戦士はわずか2000人。そんな不利な状況でもノブナガはあきらめませんでした。
怖気づく部下に対しこう勇気づけました。
「人生50年・・・人間の人生ははかないものだ。この戦いで負けるかもしれない。しかし私はこんなところで負けられない。負けるのは相手の方だ!」
勇気づけられた家臣たちは力を出し切り見事、今川に勝利し尾張の国を守り抜きました。
この戦いに勝利したノブナガの名前は日本中に広まりました。
力のついたノブナガはバラバラになっている日本を一つの大きな国にまとめたいと考えるようになりました。
そこでお殿様である義昭公とともに天皇のいる京都へ移り住み日本をまとめ上げる仕事に取り掛かったのです。
信長の父信秀は尾張の守護代の一人に過ぎませんでした。信長が家督を継ぎ、徐々に尾張内の勢力を増やしていき、ついには尾張を統一することに成功しました。
桶狭間の戦いでは数的不利な状況下にもかかわらず今川勢を退けました。この戦いでのちの徳川家康が信長勢として戦いに貢献しました。「人生50年・・・」という有名なセリフは幸若舞という舞の「敦盛」という演目の一部を切り取ったもので、この戦いの時に信長が披露したと言われています。
そして1568年信長は足利義昭とともに京へ入り上洛を果たしました。そして足利義昭は室町幕府の第15代征夷大将軍に任命されました。
ノブナガの戦いは激しさを増す
しかし、日本をまとめようとするノブナガの前にはたくさんの敵が阻んでいました。北には浅井・朝倉、東には武田、西には毛利と敵だらけ!
このころの日本はみんなと仲間になるためには戦って勝つしか道はありませんでした。
ノブナガの戦いは一層激しくなります。北の浅井・朝倉との戦いでは、彼らに協力したお寺を焼き尽くしたり、戦いに関係のない人たちにも攻撃をして勝利を掴んでいました。しかしこのようにひどい戦い方をするノブナガに仲間からも「おかしいぞ・・」と思う人がでてきました。
まだまだ日本はバラバラ。ノブナガは戦いの手を緩めません。東の武田と戦うときには日本で初めて鉄砲を使って勝利するなど着実に支配を広げていきました。
浅井・朝倉に協力したのは比叡山延暦寺。これまでも信長と比叡山延暦寺は領土や資産などの取り合いでもめ事が絶えませんでした。なかなか思い通りにならない信長はついに火を放ち延暦寺に住む人々を無差別に殺してしまいました。これが比叡山の焼き討ちです。
信長はいち早く戦いに鉄砲を取り入れました。それが本領を発揮したのが武田軍と戦った「長篠の戦い」。当時の火縄銃は撃つまでに準備の時間が必要でしたが、信長は3列の銃撃隊を用意して1列目は発砲、2、3列目は準備をして次々に入れ替わるという3段撃ちという戦法をとったということが有名です。しかし最近の研究では3段撃ちはしていなかったという研究も出てきたいるそうです。
ノブナガの繁栄と最後
日本をまとめるため着実に仕事を進めるノブナガは琵琶湖のほとりに「安土城」という大きなお城を立てました。その町ではみんなが自由にお店を出したり道をきれいにして自由に行き来きできるようにしたり、とても活気にあふれた街になりました。
最後に西の毛利との戦いへ向かおうと、ノブナガは本能寺というお寺で戦いの準備をしていました。そのとき、そこで何者かが激しい攻撃してきたのです。
たくさんの弓矢、立ち上がる炎と煙・・・
ノブナガのいる本能寺は敵に完全に包囲されてしましました。
そして「ついに自分の命もこれまでか」とノブナガは本能寺の中で自分で自分の命を絶ってしまったのです。
このときノブナガを攻めてきたのはなんと仲間だった明智光秀。ノブナガの残忍さに我慢ができず裏切りをしたのです。
とうとうノブナガは日本を一つにまとめるという夢半ば、49歳の若さでこの世を去りました。
日本を一つにという夢は実現できなかったものの、ノブナガの部下だった豊臣秀吉や徳川家康が代わりにその夢を実現しました。
今こうして日本が一つになり戦のない世の中があるのはノブナガのおかげかもしれません。
安土城は琵琶湖東岸に建てられたお城で、これまでにない豪華絢爛な意匠であったとされています。また信長は商売や交通の自由を進め経済、市場の発展を促しました。これを「楽市・楽座」と言います。
着実に天下統一を進めていた信長でしたが、最後は本能寺で家来である明智光秀に自害へと追い込まれてしましました(本能寺の変)。光秀が信長を裏切った理由は定かになっていません。
信長自害の仇を討ったのは家来の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)。信長が果たせなかった天下統一という夢を家来の秀吉が実現することとなるのです。
おわりに
いかがだったでしょうか?リアルむかし話「織田信長編」。
歴史書や子ども向けに書かれた歴史マンガなどを参考にしながら作ってみましたがなかなか苦労しました。リアルの昔話は桃太郎みたいにファンタジーの要素はなくドロドロと残忍なこともあるので表現の仕方や話の流れなど、とても難しかったです。
当初は桃太郎みたいに簡単に誰でも覚えられるようなモノを考えていたのですが、途中できっぱりあきらめて、簡単な言葉で歴史上の人物の人生を振り返ると言うような内容にしました。
お子さんの歴史を学ぶ最初のきっかけになればとてもうれしいです。
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